前史獨逸学協会の誕生〜獨協学園の源泉〜

明治中期の明治帝
「10年後に国会開設」
明治14年10月12日の政変
(朝日新聞10月14日)

軍人勅論・近代日本人最強の教典。山県 有朋 らの依頼で、西 周 らが草案を書いた。(朝日新聞、明治15年1月11日)

板垣退助へのテロを報ずる朝日新聞(明治15年4月14日)。板垣らの自由党や豪農民権家らは、薩長藩閥の有司専制に対抗していた。円内は、明治14年政変で長閥(伊藤・山県)、薩閥(黒田・松方)らから追放された大隈重信首席参議、改進党を結成。

西 周 の獨逸学校設立案(明治16年1月)。英・仏学に依拠する民権派に対抗する国権派の学問として獨逸学の必要を唱えた。(国学院大学所蔵)

明治17年11月の秩父事件。自由党左派を含む困民党の地域武装峰起。明治政府に対する民権派の闘争の最高形態。(朝日新聞、11月5日)

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。