復興期戦禍の混迷の中から獨協新生へ〜天野貞祐の登場〜

天野貞祐の登場

昭和28年1月の寒い朝、獨協生が校庭に並び 天野新校長 の訓話を聞こうと静まりまえっていた。「校長は壇に上ると、いきなり [ 人間と動物の違う所を誰か述べたまえ ] と聞かれた。・・・・・ [ ハイ君 ] [ 人間には理性があります ]、校長 [ そう、人間には理性がある。動物にはこれがない ] そのあとの話は忘れたけれども、この間の緊張したやりとりは、今迄の獨協にはなかった緊張として、のちのち忘れることが出来ない。・・・・・だらだらと過していた日々に、一つのショックを与えた」(赤松恒彦)という。生活の中の規律を大切に守る所から、天野 の教育は始まった。

天野教育イズムの特徴の一つとして、毎週わかりやすく簡明な訓育・倫理講話が朝礼時に行われた。


天野の獨協新生を支えた町沢教頭。
天野体制を常任理事として助けた同級生の加瀬恭治医博。
校長室の天野博士

母校新生に懸命の天野先生の書簡。不振と混迷に沈滞していた戦後獨協の救世主として乗り出した天野は、都内の小・中学校校長あてで、丁寧な生徒募集の依頼文を認めた。各教員が直筆を持参したものだった。

新装なった目白校舎正面。

天野先生を中心とした明治期の同窓生たち。新井恵(医博、侍医)、高橋明(東大教授、元日本医師会長)、福島博、加瀬恭治(日本医師会常任理事)、結城安次(貴族院議員、参議院議員、大井川鉄道重役)、新井源水(石川島造船所長)、森於莵(慈恵医大教授)、石橋長英(国際医学協会理事長)らの人びと。

内村祐之医博を中心とした大正期の同窓生たち。関野唯一(中大教授)、榎本貞次郎(医博)、北浜章(医博)、高橋正義(医博)、加瀬恭治、磯田仙三郎(東京女子医大教授、獨協学園校医)の人びと。

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。