隆盛期獨協学園〜200年に向かって〜

アトリエの恩地孝四郎(明治42年卒)。医歯薬関係者が多い獨協同窓生の中にあってユニークな存在だった。

獨協中学生ころの恩地孝四郎の自画像(恩地家所蔵)。

没後の作品集と研究書。本の装訂・挿画などの開拓者であり、デザイン・アート美術界の第一人者として活躍した。


木下杢太郎(太田正雄・明治36年卒)は詩人・劇作家として高名だが、草花図絵にも秀いで、東大医学部教授としても活躍。北原白秋や杢太郎の青春期の友人に詩人・歴史劇作家の長田秀雄(明治37年卒)がいる。


新甲子研修所(福島県西白河郡西郷村) 温泉医療設備や温水プール付属(敷地7,000平方メートル)。他に夏期施設として日光戦場ヶ原宿舎がある。

館山海の家(千葉県館山市塩見)
敷地3,000平方メートル。
小諸日新寮(長野県小諸市菱平)
敷地7,700平方メートル。

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。