隆盛期獨協学園〜200年に向かって〜

[右]勉学にスポーツに獨協中学時代を三育の優等生ですごした内村祐
医学博士(大正5年卒・東大教授)。クリスト者内村鑑三の嗣子。
[左]読売新聞(昭和58年1月28日)

古典落語の第一人者
古今亭志ん朝
(美濃部強次・昭和31年卒)

戦後獨協の名物ドイツ語教師酒井アルマ先生。酒井先生の3人の息子はいずれも獨協高卒。左は読売新聞(昭和57年3月11日)。

ハワイアン流行歌のスター、灰田晴彦(昭和4年卒)勝彦(昭和5年中退)兄弟も獨協中同窓生だった。ハワイの日系人医家の生まれ、医者になるつもりで帰日した。音楽関係では高橋男(昭和11年卒)、ジャズピアニストの秋満義孝(昭和21年卒)。性格俳優として有名だった新劇の三島雅夫(大正13年卒)もいる。

三代の獨協生一家。中井卓次郎医博(明治44年卒)・中井暲典医博(昭和20年卒)・中井常人(昭和53年卒・獨協医科大生)。父子二代の獨協生は非常に多い。

百年を迎える獨協学園(目白・中高)同窓会の役員(1983年6月25日総会)。同窓会役員は会長.鈴木浩、副会長・神尾昌朋、幹事長・菅野朗、副幹事長・中井暲典。

天野先生をかもみ談笑する明治期同窓生たち。塩沢達三(東京魚連配社長・東京中小企業団体中央会長)、額田晋(東邦大学長)、森於莵、福島博、柳沢信賢(小児科医)らの顔もみえる。(「塩沢達三伝」昭和37年刊)

同級生の親睦と同窓会活動に活発な昭和16年卒の独歩会有志の人びと。

天野校長をかこむ昭和30年代末の目白PTAと母の会の役員および事務職員の人びと。後列右から6人目は獨協史の生き字引だった福島博(明治38年卒)元理事。7人目は高尾嘉四郎事務長。

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。