変転期輝ける目白台〜明治末から大正へ〜

新道ができた目白坂に注目()。「獨逸協会学校」の名が読み取れる。ただし場所は右下16番地の方(明治40年3月、東京郵便局刊、国立国会図書館蔵)。

関東大震災(大正12年9月1日)の焼失地域(斜線部分)。小石川区西北の目白台はまぬがれた。前年に7千円で補修していたため震災後は4千円の応急修理ですんだ。

獨逸科学への再評価を懸命に説く谷口。「弱いドイツ」から離れようとする日本人への谷口の説得(大正8年1月、語学雑誌)。

文化の国、科学の国ドイツへの再確認を大正青年に語りかける谷口(大正8年4月、語学雑誌)。

日独戦争でドイツ領青島の陥落を報ずる大阪朝日新聞(大正3年11月8日)。

第1次世界大戦はドイツの将来、ドイツ語の必要性について、日本青年に混迷と不安を与えないわけではなかった(谷口の論稿、大正9年1月、語学雑誌)。

知的雰囲気の強い獨協中学の生徒募集(大正10年3月、語学雑誌)。

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。