発展期栄光の協会学校〜西小川町時代の発展〜

ベルリン戦勝記念塔(1871年)

在校生が中心となり、卒業生と教師が寄稿している「校友会雑誌」と後継誌「学友会雑誌」。大村仁太郎 が懇切に指導した。

大村仁太郎

ミハエリス演説「国民教育論」(協会総会)を 大村 が翻訳し文相に進呈した。協会学校幹事は益森英亮とある(都立公文書館所蔵)。

おそらく明治24年作成の図書目録。大村 が作成。408冊にのぼる多くのドイツ書が法律科と政治科の専修科(今の大学並み)をもっていた獨協の実力を示している。

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。