4代校長 大村 仁太郎

(1863~1907)江戸小石川水道端に幕臣の子として生まれる。明治9年(1874)東京外国語学校ドイツ語科に学ぶ。卒業後、17歳にして同校語学助教授としてドイツ語の教鞭をとった。その後、陸軍大学、参謀本部に勤務、大学予備門の教師を兼ね、獨逸学協会学校の幹事となる。たまたま学制改編に際し大村仁太郎は殆ど一人で中学校としての獨逸学協会学校を組織する。明治19年(1886)学習院教授となり二年間欧州留学。帰国後、学習院を退き獨逸学協会の学校教育に専念し、明治36年(1903)加藤弘之に代って4代目校長に就任する。

ちなみに大村仁太郎 ・ 谷口秀太郎 ・ 山口小太郎 三氏の共著になるいわゆる「三太郎文法」は著名である。日本におけるドイツ語教育の第一人者。ドイツと日本の親和の功労を認められ、明治35年(1920)ドイツ皇帝より赤鷲三等勲章を贈られる。