苦悩期苦悩の学園〜15年戦争下の青春〜

昭和2年ごろの美術部。中央は山崎善次郎先生。

昭和2年ごろの相撲部。中央は奥田八郎先生。

谷口一家(次女脇屋とき子と三男徳田良三)で経営したドイツ語教科書出版の日独書院(大村らの矢来町の精華書院の後身)。牛込区新小川町3-15 にあった。

晩年の谷口先生の一家(蒲田海岸の自邸にて)。夫人はる、長女浜田もと子、三女由木妙子、次女脇屋とき子、三男徳田良三、長男謙亮、四女定子、四男谷口四郎。

昭和5年3月の卒業生。中央は司馬校長、左へ安原・岩佐軍事教練教官、ザール先生。卒業生90名中、医歯薬界へ出たのは15~16名。以後、10年代の前半は急激に減少。昭和16年は22名。19年は29名の水準にもどってきている。

富士裾野の軍事教練(昭和2年5月・獨協百年第2号収録)
軍服姿は右・南部少佐、中央・安原少佐、左・相沢特務曹長。黒喪章は大正天皇崩御のため。左端座しているのが楢崎先生、立っているのが斎田先生。右端、右から加藤、鬼頭先生と会計の新井氏。生徒は前列が旧制中学5年生、中列は4・5年生、後列は4年生。後列左端は写真提供者の福田畊氏。

富士裾野軍事教練(昭和13年)の獨協生ラッパ手

教壇上の北浜章先生(校医、のち教育大教授)

うて!(昭和13年・富士裾野にて・獨協百年第2号収録)

闘う獨協生(富士裾野の軍事教練・昭和10年代・獨協百年第3号収録)

那須遠足(昭和12年)

武州御嶽山遠足(昭和12年)

青春賛歌(戦前の文化祭仮装行列・昭和11年・獨協百年第2号収録)

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。