8代校長 司馬 亨太郎

(1862~1936)明治16年(1883)山口県中学校に奉職されたのにはじまり、東宮御用掛、陸軍大学校教官、学習院教授、逓信官吏練習所教官を歴任。ドイツ語学者の権威として、国家に貢献し、正五位勲三等の勲功となり、また日獨文化の融和開発、親善をはかりドイツ皇帝より第三等王冠章および赤十字二等章を贈られる。