復興期戦禍の混迷の中から獨協新生へ〜天野貞祐の登場〜

当時のPTA会長・城所英一らの天野前文相への校長就任要請は熱烈だった。
不屈の明治人として昭和15年戦争期の日本国民に道理の感覚を、たじろぐことなく灯として示した哲人・天野貞祐

ついに天野博士が崩壊寸前だった零細小私学の校長職を引き受けた(昭和27年12月)。文相、旧制一高校長、日本育英会長の顕職・要職にあった人の出処進退としてすがすがしかった。

戦争期や昭和20年代前半の同窓生にはなつかしい「おんぼろ」校舎。手前は体育館・講堂。

戦争もおちついた昭和26年の卒業式。吉岡校長額田理事長、田村教頭、美術の仁戸田、養護の月館、理科の伊集院、独語の漆山、島田、国語の大久間、(訓育)同窓会の奥田、英語の飯田らの諸先生の姿がみえる。

ついに新校舎の建設がはじまった。旧木造校舎がうしろに見えるめずらしい写真。

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。