復興期戦禍の混迷の中から獨協新生へ〜天野貞祐の登場〜

創立75周年記念パーティー(椿山荘)。円内は来賓のハース・ドイツ大使。
訪独一行の活躍を伝える現地紙。(ボン、1960年7月29日)
訪日のアデナウアー西ドイツ首相のきもいりで獨協生の西独訪問が実現した(毎日新聞、昭和35年3月27日夕刊)。

明治25年の「校友会雑誌」以来の伝統ある目白台の獨協文化。右から「目白」第69号(昭和25年)、74号(昭和34年)など。天野時代の大学院出身教師でのちに学者として大成した人びとに中西進(国文学)、刀根薫(数学)、芝田進午(社会学)、村松定孝(近代文学)、平野健次(古典音楽)、増島宏(社会学)、村田全(数学)、小島晋治(中国史)、川上一郎(物理学)、伊藤博(国文学)らがいる。

中高教員の学術研究誌。
天野時代の生徒会新聞。真面目な紙面を御覧願いたい。

目白の雰囲気は明治以来のドイツ風律儀さと近代感覚および自由主義だった。「吠える」はその雰囲気を継承していた生徒有志の雑誌の一つだった。

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。