苦悩期苦悩の学園〜15年戦争下の青春〜

初夏の朝礼、国旗掲揚(昭和10年代)

昭和15年戦争期の教師として獨協生の心に残るリベラリストの中には、博物・田淵行男(のち山岳写真家)、歴史・村瀬興雄(成城大教授)、英語・野口啓祐(上智大教授)、国語・大久間喜一郎(明大教授)、獨逸語・島田俊匡(早大教授)らの諸先生がいた。

昭和12年12月、南京陥落祝賀行進(田村教頭以下全生徒が宮城二重橋前へ)。この時、市内のどの中学・高等女学校もみな宮城前へ行進参拝、「大日本帝国万歳」「天皇陛下万歳」を三唱した。


大戦争下に育った獨協生にはユニークな人びとがいた。例えば謝国権(昭和17年卒)は産婦人科医、ベストセラー「性生活の知恵」を生み出し戦後日本人の性解放の原点となった。安良城盛昭(昭和20年卒)は大阪府立大教授、精力的な日本経済史家でスケールが大きく切り込みの鋭い大学者。中西国夫(昭和16年卒)は父子二代の筋金入りのコミュニスト、長く神奈川県議員だった。日本人最初のヴァイオリン製作マイスター村田蔵六(昭和19年中退)や、ロン・ティボー国際コンクール第1位のピアニスト松浦豊明(昭和21年中退)らの仕事は鮮明だ。

教育熱心だったザール先生夫妻。戦前昭和期のドイツ語教師。

イモカンと親しまれた教練訓育担当の奥田八郎先生。
労作「五十年史」を調査・執筆した同窓生の岩本経丸先生。

思い出深き軍事教練(昭和19年6月・獨協百年第3号収録)
前列中央の教員は左から吉本教官、池田中尉、相沢教官、奥田教官、後列左端は松島先生。中列右から5人目は久保田、後列左から3人目は西宮、右から6人目は井上、9人目は山本の各氏。(井上氏提供)

学徒動員の汗(空襲対策の建物疎開・昭和19年・獨協百年第3号収録)

田村先生(戦中・戦後の教頭)の書籍。東京空襲で校舎が無事だったことや、御自宅や高崎家の全焼の記事がみられる。高崎獨協医大教授の御父君宛(昭和20年4月21日付・獨協百年第3号収録)。

悲惨な戦禍を敵味方に与えつづけた昭和15年戦争が、米軍新型爆弾とソ連参戦で終わりをつげた。

※このコーナーの掲載内容は、オリジナル写真集 「目でみる獨協百年 1883-1983」の内容と一部異なる部分があります。また、「獨協百年」(獨協学園百年史編纂委員会発行・全5巻)のグラビア、「獨協中学校・高等学校のあゆみ」(後援会発行)等の内容を活用・引用している部分があります。