初代校長 西 周

(1829~1897)石見津和野の藩医の子として生まれる。蕃所調所教授を勤め、文久2年(1862)幕府留学生としてオランダに派遣された後、開成所教授に任ぜられ、明治に入り沼津兵学校を主宰し、その後、政府に参加し、兵部省出仕、学制取調御用掛、陸軍大丞、帝国学士院長、元老院議員、貴族院議員を歴任。明治30年(1897)男爵を授けられる。明治日本の啓蒙と近代化に尽力。わが国で最初に西洋哲学を組織的に紹介、日本近代哲学の父と呼ばれる。「哲学」などの訳語、述語は今も広く用いられている。明治14年(1881)獨逸学協会の創立に参画し、2年後の本校開校にあたり初代校長に就任した。


西周のことば。
「そもそも、学をなす道はまず志を立つるにあり」「志を立てて学問に従事すれば、これに次ぐものは勉強にあり」(獨逸学協会学校開校式の演説より)