山県 有朋

(1838~1922)長州藩下級土族出身。松下村塾で学び、尊皇攘夷運動に携わる。 奇兵隊軍監として、藩内抗争、第二次長州戦争で活躍、戊辰戦争では参謀を務める。 維新後は陸軍で兵制改革に従事し、陸軍卿・参議・参謀本部長を務め、佐賀の乱・西南戦争の征討参軍も務めた。 明治16年(1883)、参議兼内務卿に転じ、町村制の確立に貢献し、しだいに活動の中心を内務行政に移す。 第一次伊藤・黒田内閣の内相をへて、明治22年(1989)首相に就任。 第二次伊藤内閣の司法相をへて、明治31年(1998)再度首相に就任した。 日清戦争では第一軍司令官、日露戦争では参謀総長。 伊藤博文の死後は元老の第一人者として首相選定の主導権を握る。大正11年(1922)没。