7代校長 金杉 英五郎

(1865~1942)東京慈恵会医科大学学長、東京医師会長、貴族院議員を歴任。政治家として護憲三派の会合を主導し、医学者として耳鼻咽喉科が専門で、その言葉を設けた始祖である。獨協中学校長時代は第一次欧州大戦に際し、校門を閉鎖せざるをえない辛酸をもなめられ、のち名誉校長、後援会理事長としてその苦難に援助された。医学博士。