2代校長 桂 太郎

(1847~1913)萩藩士、桂與一右衛門の長男として、萩城下、平安古に生まれる。藤田与右衛門・岡田玄道について和漢学を学ぶ。17歳にして藩の小隊司令となり、明治初年横浜語学所に入り、その後ドイツに留学、帰国して陸軍歩兵大尉に任ぜられ、公使館付武官として再びドイツにおもむき帰国後、参謀本部に勤務3師団長となり、その軍功によって子爵を授けられ、台湾総督、陸軍大臣、陸軍大将、総理大臣を歴任、伯爵さらに侯爵を授けられ、三度び組閣後公爵を陞授される。明治20年(1887)2代校長に就任。ドイツ華文字の帽章を制定。明治36年(1903)獨逸学協会学校商議員、明治40年(1903)評議員院長をつとめる。大正2年(1913)没、国葬となる。